こんにちは。

18日の日本経済新聞のスポーツ欄に、卓球女子の石川佳純選手の全日本選手権3連覇の記事が出ていました。山口市民として、うれしいニュースです。

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ボクは、その記事と同じ紙面の「選球眼」といコーナーに目が行きました。

それは「卓球の名物指導者たち…」についてで、そこで紹介されていたのがボクの良く知る岡本先生だったからです。

ボクは中学時代に卓球部に所属していて、そのときの顧問が岡本先生でした。今から約25年前のことです…。

記事によると、「1999年、山口県の山間部にある島地中を率いて全国中学大会女子団体の部で優勝した。へき地ともいえる地域の小規模の活躍は大きな話題となった。…驚くべきは、島地中からずっと指導している中学が県大会では勝ち続け、全日本選手権にも、高2以下のジュニアの部に毎年のように選手を送り込んでいることだ。…」とありました。

ボクは大殿(おおどの)中学校なのですが、記事の内容はその後のことだと思います。

ボクがいた当時から、岡本先生の指導のもと大殿中卓球部は強かったです…。ボクが1年のときの3年生から指導を始められたようですが、ボクが入ったときには県大会の常連、中国地区大会にも出場していた…というところでした。

入ってすぐには球を打たせてもらえず、ひたすらレシーブの構えや素振りを延々と壁に向ってやっていました。フォームが何よりも重要だ…だからです。

練習場所は体育館の半面をバドミントン部と共有し、体育館が使えないときには更衣室…、たまに技術家庭科の教室…という具合に練習場所を転々していました。

休みもほとんどなく、唯一テスト勉強のときだけ休める程度…。テストが終わると練習再開で、決まって再開初日に筋肉痛に見舞われる…という具合でした。

岡本先生は技術家庭科の先生だったので、手作りの練習マシンやグッズがどんどん練習に登場していました…。

結局、ボクたちは県大会ベスト4だったので、中国地区大会には出られませんでしたが、何年か後、ボクの後輩たちが全国大会で優勝を果たしてくれたようです…。ボクの妹も卓球部で岡本先生の指導を受けていて、確か全国大会に行ったハズです。

記事によると岡本先生は58歳…、ボクたちを指導されていた当時は30代前半。かなりの熱血でした。

通常、卓球の強豪校は全国から優秀な人材を集めたり、選手層が厚いことが多いのですが、ボクたちの場合は卓球をしたことのない人間が1から始めるわけですから、当時から岡本先生の指導力は抜群だったことが分かります。ましてや、補欠がいないくらいの部員数の山間部の中学が全国優勝するわけですから…。

その代り、「練習ばっかりで休みが欲しい…」とみんな思っていたことでしょう。でも、岡本先生も家庭もありながらだったので、先生の方も犠牲にするものが多かったのでは…と思います。今ではいい思い出で、感謝しかないです…。

今回の記事で、そんなことを思い出させてくれました。